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2019-04-10

マイセン 【ベゴニア・726290】 ティーC/S・28633サイズ:170cc
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

ベゴニア フランス領中央アメリカ・アンティル諸島の総督ミシェル・ベゴンに由来する。フランスの植物学者プリュミエが 自分を 太陽王ルイ14世に 王室植物学者に推薦してくれたベゴンから 6種の花をベゴニア属として紹介した書物を 1700年に出版した。

熱帯〜亜熱帯地方の原種を交配し、多くの種や品種がつくられ 性質は多様である。共通する特徴は、葉の形が左右非対称でやや歪んだ形であること、花は雌雄別であり 雄花は4枚、雌花は5枚の花びらをもつ。
鑑賞のために栽培されるベゴニアの多くは多年草の草花である。
日本に古くからある中国原産のシュウカイドウ「秋海棠」は ベゴニア属の一(亜)種であるが、ベゴニアとは呼ばれない。ヨウラクソウ(瓔珞草)とも呼ばれる。

絵付け後の 金彩絵付けも 勿論手描きです。
お安い現代作だからこそ 伝統と 後世に恥じる 手抜きは出来ません。

ヴェレンシュピール
ザビーネ・ワックス女史達が マイセン伝統の優雅さを 失う事無く 20世紀の新風と 使っても楽しい 「用の美」を求め 口縁に白い波を表現した 作品集です。

  偉大なマンネリズムを 標榜する一方で 20世紀の新風を求めて 創作美術集団クンストラー・コレクティヴを 1960年に立ち上げました。
新グロッサー・アウシュニット型に ハインツ・ヴェルナー教授 絵付けによる 「アフロディテ」 「アラビアンナイト1001夜」 「ブルーオーキッド」 等のヒット作が ここから生まれました。

1975年には 更に若い世代によるクンストラー・コレクティヴが立ち上げられ ヴェレンシュピール型「波の戯れ」や「青い花」を 生み出しております。

3人の天才ヨハン-4
一方 閉鎖された マイセンを占領したフリードリヒは ザクセンの大臣に 窯を再開させ 製品を略奪するのです。
(サンスーシーの三悪人の本領を発揮したフリードリヒ大王は ザクセンの若き女性を 自国プロイセンの辺境へ拉致し 嫁の来ての無い男達に 妻合わすのです。18世紀の国際法にさえ 明白に違反する暴挙を 平然とやってのけております。1763年の和約で戦争は 終わるのですが フリードリヒの完膚なき砲撃により ドレスデンの町は廃墟と化しました。第2次世界大戦を予兆するかのように) 
避難命令を受けたヘロルトは これ幸いとフランクフルトに 避難しましたが ケンドラーは マイセンの火を消すまいと踏み止まりました。ケンドラーは アウグスト三世の 巨大な磁器の騎馬像を作り遂げたいと 執念を燃やしていましたので 尚更 マイセンを離れられなかったのです。ヘロルトとの長年の確執に 決着をつけるべく 完成すれば 9Mを超える 磁器の巨像を 是が非でも完成させたかったのです。
(ドレスデン磁器博物館には 前哨戦として作られた 小型版が 今も展示されていて 館の目玉的 展示品になっております。)
マイセンの衰退甚だしき一方で 1763年 フリードリヒ大王は 王立窯を立ち上げ やがてジャーマンロココを 確立していきました。ロココに取って代る ネオクラシックの大波は 海を越えて 英国から襲ってきました。1774年 ウェッジウッドが ジャスパーを 開発するのですが これの大ブレークの前に マイセンも セーヴルも 全く鳴りを潜めてしまいました。一世を 風靡した ケンドラーのロココ風造形に 秋風が吹き始めた頃 ネオクラシックの新進気鋭のミッシェル・ヴィクトール・アシェが 主任造型師としてパリから 迎えられました。
傷心のケンドラーは アシェの立場で かって追い落とした ヘロルト(享年78歳)の後を追うように 同1775年 享年68歳で 失意のうちに この世を去りました・・・・・・・


磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1〜2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。
13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ
(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)
と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。
それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。
この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 
ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。
その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 
磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。

一方  本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。
東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3〜5年で 1710年に完成させました。
ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。
今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。















アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

絵付け後の 金彩絵付けも 勿論手描きです。
お安い現代作だからこそ 伝統と 後世に恥じる 手抜きは出来ません。

ヴェレンシュピール
ザビーネ・ワックス女史達が マイセン伝統の優雅さを 失う事無く 20世紀の新風と 使っても楽しい 「用の美」を求め 口縁に白い波を表現した 作品集です。

  偉大なマンネリズムを 標榜する一方で 20世紀の新風を求めて 創作美術集団クンストラー・コレクティヴを 1960年に立ち上げました。
新グロッサー・アウシュニット型に ハインツ・ヴェルナー教授 絵付けによる 「アフロディテ」 「アラビアンナイト1001夜」 「ブルーオーキッド」 等のヒット作が ここから生まれました。

1975年には 更に若い世代によるクンストラー・コレクティヴが立ち上げられ ヴェレンシュピール型「波の戯れ」や「青い花」を 生み出しております。



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